「食と建築」

  西沢立衛(建築家)、藤原辰史(歴史学者)

66d189_da68cd720e8b4017977aaa4c5c8c8e6b~mv2-6.jpg

写真:奥山晴日

藤原:今日は食について、特に縁食というのは、最近私が考えた造語なんですけど、それについて、できれば建築との関係でお話できたら嬉しいと思っております。

学生には、食と農の歴史といって教えていますけど、最初に食べ物って何だろうか?って話から始めます。その時に、だいたいいつもお願いしてるのは、「今まで食べた中で、一番美味しかったものは何ですか?」と聞くことです。学生なんで色々な思い出があって、だいたい多いのが、久しぶりに実家に帰って、帰った時に親が、とりあえずお母さんが出してくれたみそ汁とか、あるいはすごくいろいろな物語がでてくるんですね。食べることっていうので。例えば一番おもしろいのはですね、彼女と初めて食べたラーメンの味があるんですけど、その味はどんな味だった?って聞くと、分からない、覚えてないって。じゃあ何で一番美味しかったって思うの?って聞いたら、分からない。だけどなんか美味しかったに違いないと。

 

そういう話を聞いたりしてるうちに、食べ物っていうのは、単に栄養補給じゃないんだよってことを伝えるようにしています。食べることに物語があったり、文脈があったり、あるいは誰かが持ってきた食材を、どういう風に料理したらいいか?食べることって、単に食べることだけではなくて、色々な関係性も一緒に食べているっていうことを伝えようとしています。何故なら今、学生達のほとんどは、昼ご飯をコンビニですませていたりとか、結局学食で食べますって、食べることもありますけれども、やっぱり、食べるってことをあんまり楽しみにしなくなってきてる状況の中で、いかに楽しいかってことを伝えるように、考えるようにしています。  

 

それからもう一つは、所詮、食べ物は塩以外は生き物の死骸なので、なんで、生き物の死骸を目の前に置いて、美味しく食べようと思えるのか?これ不思議じゃないですか?ってことを学生に言って、そこをなぜか美味しく食べてる私達は、たぶん文化っていう道具、文化を使って、食文化っていうものによって、それを、本当に幸せの根源として食べているっていうことを話したりしています。何が申し上げたいかって言うと、食べてる行為ってほとんど奇跡的な行為でですね。ふと前の生徒が変わると、気持ち悪いことをやっているわけですね、私たち。歯をむき出しにして、舌ベロベロ舐めながら、場合によっては本当にはしたないようなことを晒しながらやってるわけですけど、でも、これが奇跡的に成り立っている私たち人間社会って、すごくおもしろいよね、っていうか。こうやって人間はセックスを隠して、生を、食をオープンにするっていうことを選んだ非常に器用な動物なんですね。

 

何で食をオープンにしたのか?こんだけはしたないことをオープンにするのは、おそらく食べるという行為で社会を作ることを選んだ、あるいはそれによって生き延びることを選んだ。だから、マンモスとか大きなクジラとかを集団で捕ってきて、みんなで分けるっていうことを選んだ。なんか、そういう人間関係と食べることはセットだよねっていう話を、そういうことをしていたりします。食べるって一言でいうけど、どんな行為なんだろうか?っていうことを、すごく当たり前のことから問うことを私はやっております。  

 

もう一つはですね、私が『ナチスのキッチン』という本を2012年に書きまして、そこで台所の歴史をちょっと勉強しようと思ったというのがあります。それを今日、今からお話したいと思うんですけど、台所っていうと、私たちはどうしても、どこか家の端っこにある、かつては主婦の仕事場などいろいろ言われながら、ある意味、台所っていうのは日陰の存在だったのが、段々と、アイランドキッチンとかオープンキッチンとか、段々リビングの方に進出してきているわけですよね。その台所が、そういう風にどんどんステータスが上がっていくっていうのはなんだろうな?とか、あるいはその台所って、今はシステムキッチンっていう形で、大量に生産できるビルトイン型の、いろんな物がセット売りで、私たちはその台所を買っているんですけど、それができたのはたかだか100年にすぎなくて、それまではみんな、カスタムしながら、それぞれが台所を作っていたわけですね。それで、その台所の構造がとか、あるいは大量生産がいったい何をもたらしたのかという歴史も研究してきました。

 

それでいろいろわかったんですけど、ドイツで初めてシステムキッチンっていうものを作ったのが、マルガレーテ・シュッテ・リホツキーっていう、オーストリア初の女性建築家でして、そのシュッテ・リホツキーっていう人が、システムキッチンっていう、比較的小さな場所でも、工業的と言いましょうか、効率的に料理が作れるように、いろんな所に人間工学に基づいて配置してですね、まさに工場のテーラー主義を使ってやっていくっていうのを発明したんですけど、どうしてそれを、シュッテ・リホツキーが考えたのか?っていうのが大事だと思うんですよ。理由は、女性の解放なんですね。彼女は、女性がずっと台所や家事にとらわれているから社会参加できないんであって、もっと参加するためには、家事を徹底的に早く終わらせるべきだろう、そうすれば、読書もできる、買い物もできるっていうことで、食の時間を削ることによってというか、料理の時間を削ることによって、社会参加を目指そうと考えたんですね。それで、1920年代ちょうど、ドイツは初めて女性に参政権が与えられるんですね。まさに彼女はその時代に乗って、どんどんシステムキッチンが普及していくんですが、それと反比例するかたちで、所謂食べ物をめぐる台所もそうですけど、食品もそうですし、洗剤もそうですし、あらゆる物を工業化していくっていうか、産業化していく、あるいはすごく嫌な言い方をすると、食品産業の末端になってしまっていた。そういう風な感じになってしまっていくと、その反比例する関係性みたいなものをずっと考えてきました。   

  

食と建築1.png

ドイツの住宅

それで、実は、そのリホツキーさんっていう人は、1台所=1人っていう、各家の台所を考える前は、女性を解放させるために、共同キッチンを開発しようとしていたんですね。それを今日は、ちょっと建築家の前で書くのすごく恥ずかしいんですけど、書きますとですね。ドイツってこういう道があるとですね、ここに建物があって、こういう感じで四角く囲んで、ここに中庭があるんですね。中庭にゴミ箱が置いてあって、こういう風にみんなが住んでいる。でここは道路なんですけど、このひとつのブロックの、この建物が4階建と3階建でこういう風に続いているわけですね、こういう感じで続いているんですけど、その1つの建物につき、台所を1個作って、その台所を共有すれば、その各家庭の女性がいちいち料理しなくてすむっていうことを考えて、いわゆるコレクティブハウジングというか、みんなで台所を共有する方法は無いだろうか?っていうことを、いろいろ考えていた人でもあったんですけど。結局、それが上手くいかなくて、キッチンが1人につき1つの台所っていうんでしょうか、小さな台所に変わってきたんですね。しかし、そのリホツキーさんってゴリゴリのコミニストで、共産主義者で、そのあとソ連にスターリンに呼ばれて行って。スターリンって、例えば保育園とかそういうのを作っていくわけですけれども、その中でも結局、みんなで食を共有する、みんなで料理をするとか、そういうキッチンというか、食行為の共有ですね、シェアっていうものがだんだん消えていったっていうのが彼女の歴史だったんです。  

 

そんな中で、先ほどの食べるっていうのは、ある意味、食べること以外の人間関係とか、あるいは歴史とか、その土地とかも一緒に食べる、あるいは物語とかを一緒に食べるんだってことと、さっきの話を結び付けていろいろ考えていくうちに、「縁食」っていう言葉に行きついたんです。「縁食」っていうのは何かっていうことですけど、造語なんですけど、わたしの夢はですね、広辞苑に載ることなんですけど、「縁食」という字が将来広辞苑に載るようにみなさん力添えいただきたいんですけど(笑)。

 

半分冗談ですけど、それはどういうことかっていうと、2つの言葉の間にあるラインですよね、孤独の孤の孤食と、それから共食の間にある食べるあり方なんですけど、孤食っていうのは、1人で食べたくないのに、残念ながら1人で食べざるを得ない状況にある人、共食っていうのは、ある意味メンバーシップですね、宗教とか土地、地縁とか血縁によって、必ず食べなきゃいけないっていうがんじがらめの食っていう。あるいは、民俗学的には神様と一緒に食べるっていうのが共食っていう意味なんですけど、この間にある、なんかこうフラっと立ち寄って、フラっと帰れるような食のあり方っていうのがすごく注目されているんですね。これをなんか建築家の方たちと一緒に話したいなっていうことで、つまりどういうことかっていうと、今、日本ですごく普及して、児童館よりも多い子ども食堂ですね。5,000軒を超えてしまったこの子ども食堂も、ほとんどボランティアでできていますけど、誰でも、場合によっては無料、子供は100円か200円、リッチな家庭でもそうじゃない家庭でも、誰でも入ってこれるという、そういう可能性を持っている場所を表現する言葉がなくて、「縁」っていう言葉を使ったんですけど。その子ども食堂っていうのは、もともと東京で、島根県出身の人が、だんらん食堂っていう名前で始めたんですね。理由は、ひとつは子供の貧困。当時全国の6人に1人の子供が貧困状態にあるということ、その子供たちになんとかまともな料理を食べさせてあげたい、夜ひとりぼっちでカップラーメンよりは、むしろこっちがいいだろうという、すごく切迫した思いと、それから、食べ物ってマグネットなので人が寄ってくるんですよね。寄ってくるっていうことを利用して、もう一回、コミュニティを復活させたいっていう2つの思いから、子ども食堂を作ったそうです。それが第1号店ですね。それで、その方の理念がうまく伝わっていきながら、結局5,000軒になって、ドイツでは母親食堂というのがあって、お母さんが朝、子供と手つないで仕事行く前に食べに行って、その後じゃあねって言って行ける食堂が流行っている。わたし、昔から朝食大事だって言っているんですけど、朝食ほど忙しいとき、戦争なときはないって。朝食をもし共有できれば、すごくこう、生活が楽になる可能性もある、わざわざ高いレストランに行かなくても、そういう場所があれば、ちょっと心にゆとりができる。それも今考えられているんですけど、そういう縁っていうものもやっぱり重要だと思うし。  

 

みなさん孤独のグルメってご存じでしょうか?松重豊さんっていう俳優さんがやっていらっしゃる漫画のドラマなんですけど、その松重豊さんと対談を、朝日新聞で正月にさせていただいたんです。その時に彼が「給食の歴史」も読んでてくれて、対談してコメントいただいたんですけど、その時に、孤食・共食・縁食、どれもすごい面白い概念ですけど、もう1つ提案したいっておっしゃったんです。これが独食っていう、孤独の独ですね。これ何かっていうと、まさに、1人で食べてもいられる場所っていうことなんですね。1人で食べても淋しくない場所。これ、わたしからすると縁食なんですけど、彼は別に、会話なんか生まれなくていいと、別に、こうよしよしと面倒みられなくてもいいと、ただその場所にいることが許される、そういう場所がやっぱりこれから必要ですよねっておっしゃって、逆に言うと、社会からはみ出てしまったりとか、あるいは社会からいらないって言われちゃった人々が、1人で安心して食べる場所って少なくなっているような気がするんですよね。もちろん、牛丼屋さんとかファストフード店はいっぱいあるんですけど、何かこう、心を許せて、安心して1人で食べられる場所、そういう風な場所が、ある意味縁食として頭に言葉が出てきて。「縁」っていう字はなんで出てきたかっていうと、日本語に略すと、フチとかヘリという言葉になる、ある意味端っこにあることなんですね。

 

わたし、実家が島根県の米農家でして、小さい頃から、縁側に座っていろいろ遊んだり食べたりすることがあったんですけど、うちの家って、ここに縁側があって、ここに小さな庭があって、ここにおじいちゃんの書斎があって、ここが玄関でして、こういう風に人が入ってきて、玄関でピンポン押すと、あるいはさらに奥に入って、勝手口に入って、ここが台所なんで、台所でおばあちゃんに挨拶するていう、2つの道筋が、ピンポンする方法があるんですけど、もう1つあるのが、このまま縁側に来る方法。それで、縁側がこういう風になっていて、ここが客の間で、ここがおじいちゃん達がテレビを見る居間なんですけど、縁側がここまでこういう風になっていて、ここで大体10時と3時に、農家ってめちゃめちゃ疲れるんで、朝の10時にお茶と漬物とスイカとかメロン、そういうの全部入れて、あるいはわりとご飯も出てきます。ここに座ってるんです。 

  

 

  

食と建築2.png

藤原先生のご実家

藤原:なぜかっていうと、縁側って下靴を履いたまま座れるんですよ。さらに、汗びっしょりでも大丈夫なんですよ。それである程度風が吹いてきて涼しいので、ここに座りながら家族でお茶をする。これをたばこと島根県では言いますけど、ここの空間がすごく面白くて、ここでおっさんがやってきて集金でもやっていこうかって思うと、ここに来ようと思ったんだけど、ここでみんな楽しそうにしてるので、ここで集金持ってきたわねって言ったら、まあ寄っていきなはいっていうことになるんですね。寄っていきなはいっていうけど、大体3回くらい断るんですけど、結局3回くらいしつこくいくと、ここに入ってこさせられて。10分か20分喋ってまた帰っていくんですけど、まあそういう縁側の空間ってけっこう重要なんです。葬式のときには、この縁側が亡くなった方をお墓に運ぶ入口であったり、出口であったり、和尚さんを招く入口であったり、死者と生者の交流の場所でもある。そういう意味で、縁側の「縁」っていう字いいなと思って、縁食という言葉を使いました。  

 

これで終わりますけど、結局どういうことかっていうと、実はこの縁食っていうのは、さりげなくふわっと入れて、いつでも気持ちよく帰れるっていう場所のキーワードというか、そういう縁食っていうのは空間が大事なんで、建築家の皆さんのセンスがないとすごく無理なお話なんですよ。理由はどういうことかっていうと、その縁食の空間に入った以上は、その場で経済格差が一切出ないっていう空間にしなきゃならない、紛れるっていうことが大事なんですね。  

 

これはわたし『給食の歴史』っていう本を書いたんですけど、学校給食の理念がそうなんです。学校の門をくぐった以上は、誰もが弁当によって差別されない、弁当の出来具合によって差別されないっていうことが給食の理念なんで、強制的に食べさせる。だから不味い物も食べさせられて、嫌な思い出があるわけですけど、それと一緒で、子ども食堂の理念も、そこに入った以上、どんな人でも一緒に食べられる空間。枝元なほみさんっていう料理研究家と、ちょうど昨日Zoomでお話をしたんですけど、彼女がちょうど2020年の12月に、あまりにもひとり親世帯の貧困が激しいので、おとな食堂っていうのを開いたんですって。「おとな食堂やるぞぉ」ってTwitterかなんかでやったら、全国から膨大な食べ物がやってきて、それを使ってひたすら、子供を抱えるお母さんとか、それから普通にただ冷やかしに来た人とか、食べてぇなぁって来た人とかも含めて、どちゃぁっと押し寄せてきて、みんなで食べたっていうことをお話してたんですけど、その時に彼女がやっぱり同じことを言ってて、紛れるってことが大事なんですよ。誰かが貧しいから来ているっていうことを、負い目を負わなくても食べて帰れるっていう空間が、たまたまその空間が奇跡的にできたっていう。混ざるですね、紛れる、混ざる。つまり似てますけどちょっと違うのは、なんか混ざっちゃっていて、いつの間にか誰が誰だかわからなくなってくる。それから、その場所でさまよえる、迷える。誰かのところへ行って、また違うとこ行ったり、あるいは突然消えても、あるいは突然トイレ行っても、その場にいなさいって言われないっていう。そういう空間が偶然にできたっていうんですけど、こういう食堂っていうか、食べる場所って、なかなかこう…ひとりでいて安心できるとか、誰かと自然に会話が生まれる空間っていうのは、すごくこうもう、人文学の文系の頭で全く対応できなくて、ここから恐らく、建築家の方とか空間デザイナーの方たちとか、インテリアデザイナーの出番になってくる。そこがよく私が悩んでいたり、お話を聞いたりしている場所っていうことになります。大急ぎでバタバタとお話しましたけど大体準備したお話はこれくらいになります。どうもありがとうございました。  

 

西沢立衛:ありがとうございます。食と建築っていうことでお題いただいていたんですけど、あんまりそれにストレートに答えられるプロジェクトはそんなになくてですね、申し訳ないんですけど、自分なりにちょっと、食べるっていうことと建築っていうことで考えてみたことを喋ってみます。と言っても、食べるっていうことに、特に若い頃はほとんど興味がなくて、ガソリンの給油位にしか思ってませんでした。今もグルメとかいわゆるガストロノミーとかいうレベルでは全然なくて、食べることに興味はありますが、やっぱりそれほどでもないかなと思います。  

 

食べるっていうことに興味を感じ始めたのは、ヨーロッパとか中国とかに行き始めて、食べるっていうのは面白い事なんだなというのを思うようになってまいりました。ひとつはフランス。イタリアとかいろいろ美味しいところあると思うんですけど、フランスのボルドーで地元の家に泊まっていた時に、朝ごはんで目玉焼きを作ってもらって、そしたらそれがすごくフランス料理になってて、卵焼くだけでフランス料理になるんだ!っていう驚きがですね、日本と何が違うのかよくわかんないですけど。それで、食べるっていうのはどこでも同じっていうことではないんだなっていうのを思ったっていうのがあります。ヨーロッパでは結構、ドイツでもイタリアでも、そういう、その場所の食べ方とか美味しさっていうのを感じるようになってきてですね、徐々に興味を持つようになりました。  

 

あと一個は中国で、中国料理が僕は好きで、すごいいろいろな思い出があるんですけど、90年代末に中国に行った時に、最初に面白いなと思ったのは、寒い冬に北京に行って、ホテル、◯◯飯店っていう、飯っていう字でお店っていうんですけど、それが中国人はホテル、日本人だと◯◯飯店っていうとレストランですね、うわホテルなんだと思ってですね。◯◯飯店って、今はアメリカのホテルが入ってきて必ずしもそうじゃないんですけど、当時は中国でホテルといったら、必ず◯◯飯店だったんですね。それで面白いなと思ってたんですけど、結局、外は凄く寒くて、川が氷で固まってて、すごいその上にみんなゴミ捨ててって、ゴミの川になってすごい寒いんですけど、家の中は暖かくてですね、そこでみんな食べて飲んで、寒い地域なのでお酒が強くてですね、みんなクラクラになってそのまま寝るっていうことで、まあ、食べ終わった後に外を歩くと死んでしまうということなんでしょうか。その食べるっていう事と寝るっていう事がそのまま連続していてですね、面白いなと。機能が連続している時に、もしくはその連続の仕方で、その地域の力を感じるなと思って、北京の場合だと、強いお酒と寒い屋外と美味しい食事には色々なことがあって、食べる寝るっていうことの連続性に関心したと思うんですね。  

 

それでもう1個中国で面白いなって思ったのは、ビジネスが連続していて、重要な打ち合わせは必ず食事なんですよね、昼なんか、どうでもいいディティールの、どうでもいいってわけじゃないんですけど打ち合わせして、重要な人物が出る重要な打ち合わせっていうのは必ず立食で、凄い強いお酒で、もうわけわかんないくらいになんとなく物事が決まっていくっていう形で、なんていうか、1番重要なビジネスっていうのが食事であるっていう。日本でも言われてみれば、会食っていって、政治家とか重要な会食っていうのは、つまりはミーティングと食事が合体してるっていうことで、会食。中国に習ったのが、ビジネスー食べるー寝るっていうのが連続してるって事と、そのビジネスとは、食べるという最も享楽的なものが一体化してるっていう。建築的な言い方になるけど、機能の連続性もしくは機能の多重性、色んな機能が同時に起こるっていうところで、なんか凄みっていうのが出てくるかなっていうのを凄く思いました。それで、中国では代飲み屋っていうのがいてですね、代わりに飲む人ですね。重要な打ち合わせをやってる人って毎日食事、会食しないといけなくて、毎日強いお酒飲むの大変なんで、それでまた中国って、食事中に話が止まると乾杯するんですよね。日本は乾杯が形骸化してるので最初だけなんですけど、中国人って押しのけてなんかやりたいときに、やりたい人が乾杯するんですね。  

 

 

藤原:しかも本当に早く空けないと。  

 

 

西沢:そうすると、偉い人は、重要な打ち合わせしないといけない人って乾杯しないといけなくて大変なんで、後ろに代飲み屋が立ってるんですね。乾杯!っていうとその人が飲む。なんていうかね、ユーモアがあるっていうか、ああいうところも僕は、中国で食べるっていう事がどれだけ重要な事かっていうことと、それが単機能っていうか多機能で出てくる。あと連続があるっていうのが面白いなって思った。食事っていうのはやっぱり面白いなって思う時は、大体、その地域の歴史とか価値観っていうものが出てくる時に面白いなって思う。それが一応建築家なんで、食事以外は例えば、お風呂とか寝るっていうことも地域文化なんだなっていうのを徐々に思えるようになってきて、西洋のホテルで寝る時に凄い立派なベットルームで、四畳くらいの日本で寝るのと全然違うわけですね。部屋の暗さとか、まあそういう意味では機能っていうのはあんまりユニバーサルにするとつまんなくなってくるんだけど、地域的にしていくと面白くなってったりするのかな?とか、合体させたら面白くなってくるのかな?とかいうのは考えたりします。  

 

もう1個機能で面白いなっていうのが、部屋の中でやるっていうことじゃなくて、機能っていうのは室内のことじゃなくて、環境的なものだったんですね。例えばいい例でいうと、家っていうのが人が住む場所なんですけど、中に入んなくても家だって分かる。つまり、機能が環境化してるっていうのかな。例えば、工事現場っていうのは必死にみんな作ってるっていう機能があるんですけど、中に入んないでも大体わかるんですね。工事っていうのが環境とした、機能の一番自然な状態っていうのは、その環境を空間化するっていうか、環境化するってことかな?ってなんとなく思うんですね。全部箱の中に詰めるっていうよりは、中と外を繋がれた状態にあるというか。  

 

もう1つは、建築って大地の上に立つんで持ち運べそうな感じするんですけど、もうちょっと建築を、その歴史や地域の広がりの中で考えたいっていうのを徐々に思うようになっていきました。それはやっぱり、ヨーロッパとか中国っていうものから学んだともいえるし、そっから帰ってきて、日本から学ぶっていうのもあるのかなと思うんですね。そういうわけでは色々なこと考えて、1つは機能っていうのを部屋の中に入れるんじゃなくてですね、中と外の間に置いてみようっていうことで、これは森山邸っていうプロジェクトなんですけど、これ、まだまだ今思うと不足なところいっぱいあったんですけど、建物と庭が混ざるようになってて、お風呂が庭の中に建ってるんですね。

 

これはキッチンで独立させて、母屋から独立させてるんですけど、庭とダイレクトに繋がるような形にして、なんていうか中があって外があったりすると、その境界に機能を置くと建築が箱にならないというか、うまく繋がるんじゃないか?っていうのをなんとなく思うように、今思うとちょっと無謀だとも言われるし、キッチンも非常に寂しいキッチンではあるんですけど。 

  

 

  

210803京都.002.jpeg

森山邸

西沢:ここに家があるんですけど、キッチンをこう出先感的に離して、庭と繋がるようになっていてですね、お風呂はもう離れにして、昔のヨーロッパだと、お風呂って床に絨毯敷いてリビングルームみたいで良いんですよ。日本はどちらかというと、五右衛門風呂的に庭にあって、それはそれで良いんですよね。それで、その後者の方をやってみたっていうのがですね、右側にお風呂があって、真ん中の庭があって、その向こうにキッチンがあるんですけど、けっこうみんなで食事する時は、大体庭に出てきてみんなでやる。やっぱり機能的にそっちの方が煙が出たりして良いっていうんですけど。 

  

 

  

210803京都.003.jpeg

森山邸

西沢:その後にやったプロジェクトなんですけど、さっきのは集合住宅だったんですけど、これは個人住宅なんですけど、中庭に面した形でキッチン、ダイニングっていうのを置いて、外に出やすいっていうような形にしてみました。 

 

  

 

 

  

森山邸

寺崎邸

西沢:ただ、個人住宅なんで、さっきの森山邸ともちょっと近いんですけど、道路と中庭を分けるような形で部屋を取ってるんで、もう完全な箱なんですけど、境界に置いてみると、いろいろな使われ方が出来るかなっていうのが、例えば、これを作った時はコロナ前でしたけど、リモートワークみたいなこととか、もしくは子供が遊ぶときにちょっと離れに出来るとか、なんか多機能的になるかな?っていうことで境界に。 そうそう、縁食の縁っていうのはすごく境界してるんですけど、端に機能を置いてみると、色々な多機能化っていうか、広がりがあるかなっていうのをちょっと思ってます。 

  

 

  

210803京都.006.jpeg

寺崎邸

西沢:左にキッチンがあって右にダイニングが、その先に庭があって、その先に多目的室があって、多目的室の右側に道路も見える形で、同時に家の中心を、塀じゃなくて、塀を建てずに空間の中間領域をいくつか作る形でプライベートの空間を作ろうと。日本は土地が無いんで、道路と庭の間に塀を建てて、一応プライバシーと公共を分けるんですけど、それだとちょっと物的すぎるというか、もうちょっとこう中間領域を作る事でですね、徐々に徐々にプライベートになっていくっていう感じにしようって。  

 

それで、これは徳田さんとやって実現しなかった、間人で今、徳田さん達がやろうとしてる前に、大原で、みんなが集まって、この時は食だけじゃなく食べる以外にもうちょっとものづくりの議論したりとか、色々な多目的な場所だったかなと思うんですけど、そういうものを作る場所、計画がありまして、写真の左上にある白い建物は既存の建物です。 

  

 

  

210803京都.010.jpeg

あしたの畑のラボラトリー

西沢:まるいのがみんなが集まる場所を作るということで、僕が設計しました。大きな木があって、その木を模した感じで半屋外の建築。最初はこういう壁が無くて大屋根の木があって、茅葺きで作ってですね、真ん中にガラスのトップライトを作って、そこから排気をして、真ん中に囲炉裏を置いてですね、そこで火をおこしてみようという感じで、なんか原始人の家みたいなの作りたかったのかな?と思うんですけど、家というよりは、多機能のいろんなことがやれるような場所。

 

もう一つは横に畑を作ろうということで、農作業小屋、農具小屋を作るということがあってですね、そのまま出入りが自由な場所を作ろうとして。これは断面としてはこんな感じで、壁で囲って倉庫があったり、中央に囲炉裏があって、座敷があって、これは徳田さんの仲間の人達が、自分の技で作ったものを集めてきて、これは茅葺きじゃなくて屋根を白磁で作って、さっきのはちょっと縄文的な原始人みたいなものでしたが、これもちょっと原始的というかモダンで綺麗な、プランは一緒なんですけど、もうちょっと綺麗なものを目指している。 

  

 

  

210803京都.013.jpeg

あしたの畑のラボラトリー

京都の住宅

西沢:これは京都に最近作った個人住宅なんですが、京都の町屋からいくつか題材を貰ってきていて、建築の設計の作業でちょっと言いましたが、地域の広がりの中で作るっていうことから、歴史的なタイポロジーである通り庭っていうものを使いたかった。 

  

 

  

京都の住宅

西沢:この住宅ではこっち側が通り庭になっていて、こっちにいわゆる室内っていうか、家があるという構成です。通りの部分が抜けてて土間になってるわけですね。こういう高層が建つとこなので、将来的には南側にもおっきいものが建つだろうということで、南面採光というよりは上から光を入れるという形で、京都の路地のような感じの場所です。右側が土間になって、左側は居間ですね。 やっぱり町屋を見ていて凄くいろいろ面白いなって思うことがあって、ヨーロッパとか中国に行って、建築を見て関心するのは、いろんなことに関心するんですけど、人間の場所があるってことですね。やっぱり、人間の場所を作るってものが、中国とか大陸の人達って凄く上手くてですね、ヨーロッパの町とか見ても、例えば、街角の喫茶店でも家まで入んなくていいんですよね、人間の場所ができている。人間が暮らすっていう当たり前のことに町がなってて、東京行くと縦なのか横かよく分からない項目がガチガチ並んでるんです。それはそれで、アジアのある種生き方と言えれば言えるんだと思うんですけど、凄く建築家としては勉強になります。  

 

京都に来てやっぱり関心するのは、人間の場所っていうところの破片がまだあって、特に町屋を見ていると、町屋でいろいろ関心するのは、1つはこの高床っていうか、京都に限らない、高山の吉島家もそうなんですけど、床を上げて木の床もしくは高床を作るっていうのは、明らかに人間の場所と言える、なんていうか気持ち良さがあるな。  

 

あと1個は土間ですね。吉島家も土間があって、そこが凄く魅力的になってます。いろんな人間が出たり入ったりする活動の場所であり、交通の場所であり食べる場所でもあり、いろいろな場所。それがもっともこう、純粋に景色化して、京都の町屋はその2つだけでできているなと、凄く抽象化されているけれど、なお人間の場所を感じるってことで、それを自分としてやってみたいっていうものをですね、それで右が土間で左がそういう高床形式になっています。 

  

 

  

210803京都.021.jpeg

京都の住宅

西沢:畳っていうのは敷いてないんですけど、高床っていう意味ではアジア的で、高温多湿の地域で、どうやって人間の場所を作るかってときに、床を上げて気持ち良さを作るっていうことをやろうとしている感じってのを、多分僕も日本人だし、あるのかなって思います。奥がキッチンで、それが京都では昔の中央部分にこういう共同体の路地があったっていうのは聞いてますけども、そういうのがもし復活したら、そっちでも使えるなって思ったり。  

 

箱みたいな建築をどうやって箱を打ち破るかっていうのがテーマで、機能が切り替えられるのが箱の中だけじゃないってことで、例えば縁側作るとか、軒作るっていうと、壁じゃないところで空間のチェンジが、機能のチェンジが起きるんですね。通り庭もそうで、プライバシーっていうのが、この壁1枚じゃなくて何層にもレイヤーがあって分かれるっていう、そういう意味では通り庭っていうのはすごくうまいなっていうのはあります。  

 

後、町屋で見てて軒が出たりしてるんですけど、ああいうのもうまいなと思って、軒先を借りるという風によく言いますけど、借りるっていうことは人のものだっていう風には分かってるんですよね。でも勝手に借りてるわけだから事実上公共空間になってて、公共か私っていう意味で分けるとどっちにも属しようのない、まさにへりの空間っていうのが軒下空間で流れてて、京都の通りはそれで出来てるっていう事で、多分通りもそういうようなものなんだろうなって思うんですけど、壁1枚で公私を分かつ大陸のやり方と違う、幾重にも中間領域を纏って建築が登場するっていうことが出来てて。そういう意味では縁側とか軒下空間とか庭とかっていうのは、先程の機能の連続性とか多重性っていう意味でも、地域や歴史の広がりの中でも建築っていうのは面白い。あとは、人間の場所を作るっていう意味でも、壁1枚で作られる時、日本の壁、建築の壁ってやっぱり薄くて、結局ここであんまり守られた感じがしないっていうか、もうちょっと空間的に守られて場所があるみたいな方が良いのかなって思ったりもしています。 

  

 

  

東松島市宮戸島のみんなの家

西沢:これは東日本大震災の応急仮設住宅で作ったもので、応急仮設住宅が左側に見えますけど、寝室しかなくて、みんなが集まる場所で友達が来ても、立ち話して別れるってことでそれはまずかろう!っていうことで、みんなで食事出来る多目的な場所を作ったんですね。これは妹島と共同でやったプロジェクトなんですけど、こういう漁師の町なので、魚を切ったりスプラッタームービーみたいなのが起きるわけですけど、応急仮設住宅では出来ないっていう事で、これもキッチンが拡張して、居間空間になったみたいなものですね。 

  

 

  

210803京都.028.jpeg

東松島市宮戸島のみんなの家

犬島の集落

西沢:最後に、これは妹島が中心になってやってる犬島のプロジェクトなんですけど、過疎化した限界集落の家々をどう使うか?っていう事で、中央にキッチンを作るっていう事で、キッチンは妹島が作るものなんですけど、周りにステイワン、ツーがあって、農家は大体離れに納屋がある、その納屋を泊まれる場所にしようっていう事で、そこにキッチンを作るとお金がかかるので、そこは寝泊まりだけで、中央で食事をしようっていうような形に。これが食事空間が公共空間になるというものですね。離れの納屋を改装して寝泊まり出来る場所にしたプロジェクトを2つ作って、目の前の空き地が皆が集まって食事するという場所というプロジェクトをやっています。すみません、以上です。 

  

 

  

210803京都.048.jpeg

あしたの畑のラボラトリー

犬島ステイ

司会:ありがとうございました。それでは対談の方に移ります。 先ほど、あしたの畑は間人で活動を始めると言ったんですけれども、今年の9月から展覧会をして、来年、西沢先生と藤原先生と一緒に、これからの縁食の空間を作りたいなという話をしています。その縁食の場がこれからどうなるか?をテーマに対談していただけるとありがたいです。  

 

 

西沢:さっきの紛れるっていう話が非常に感銘を受けて、やっぱり日本の歴史っていうか地域っていうかを感じて。ヨーロッパの町って凄く感心するのは、良くも悪くもだと思うんですけど、階級社会という事で良いとこもあって、どの階級でもそれなりに楽しく暮らせるようになっている。やっぱり市場に行くと食べ物が安くて、自分なりに美味しく作れて、通りは凄いかっこいい通りがあって、そこを開けてオペラなんかを見ても、安い席は1ユーロか2ユーロかそのくらい安くて、凄く分断されてる階級、各階級が1つの町で暮らせるっていうのを考えているなと思ったんですけど、さっきの紛れるとは逆で、すごい日本の村みたいな感じで、色んな人が混ざって、村祭りみたいな感じっていうんですかね、そういうのが、殿様も農民もみんなとにかく食べるみたいな感じがあってですね、凄い面白いなって思いました。  

 

 

藤原:確かに、階級社会が可視化されたヨーロッパとそうではない日本っていうのを、今指摘されて確かにドキッとしたんですけど、私はやっぱり、日本の、例えば京都だったら御所が面白いと思うんですね。御所って昔、天皇が居た場所で、江戸時代に任務が終わったら引っ越ししたわけなんですけど、あの江戸時代の様子を見るとですね、御所の住んでるギリギリの所まで、みんな結構酒盛りしてるんですよね。普通に聖俗併せ吞んだ場所でして、実は、単なる聖の空間としてつまらなくなったのがおそらく近代かもしれない。だから聖俗っていうか、色んな物が混ざっていく事が、実は日本のパワーだったかもしれないって考えると、私はつい、殿様も農民も一緒に食べてるという時を考えちゃって。  

 

 

西沢:洛中洛外図なんて、本当にどこが洛中でどこが洛外か全然分からないっていう。  

 

 

藤原:本当に上半身裸で酒かっぱらってる人が御所とか居たりするんですね。そうそう、あとすごい今日キーワードが面白くて、西沢さんの仰った機能の多重性ですよね。私、日本の歴史よりもドイツの歴史の方が結構長くやっている事もあって、やっぱりこれ重要だと思って、中世・近世のドイツとかヨーロッパの居酒屋がやっぱり多機能的なんです。どれぐらい多機能的かって言うと、居酒屋って、大体村の端っこか入口ぐらいにあって、旅人がやって来たり、あるいは村人が集まって来るんですけど、まずお酒が飲めるんですね、その場で作られたビールが飲める。更にシェフと、シェフっていうのは作ってる人とお話が出来る。そこまでは良いんですけど、ちょっと離れにボクシング場があって、殴りあってるのをみんなで眺められたり、ちょっと外れると同じ人が髭剃りをしてる、つまり昔あった外科医ですね。今理髪店っていうのは白、赤、青っていうのがくるくるくるくる、動脈、静脈って意味と包帯って意味ですけど、つまり病院と理髪店も兼ねているし、場合によっては誰かを誘って2階に上がるっていうのはいわゆる買春の場所、でもある時はそろそろちょっと領主許せねーなとか言って、みんなで悪口を言って、ちょっと暴動を起こす事とかがあるから、基本、食べる場所っていうか飲む場所、飲食の場所、多機能性が、さっき仰った凄く面白い事が、連続するって、それがやっぱり機能が分断されちゃった時代っていうのが今の時代なんですね。  

 

 

西沢:そうです。原広司さんっていう、我々に凄い大きな影響を与えた建築家がいらっしゃって、原広司さんが70年代に、すごい色々と示唆的な事を書いてる人なんですけど、日本の都市の近代化の歴史っていうのは、住宅ー家が、都市に機能を1つ1つ奪われていく歴史があったんですね。昔は家っていうのも多機能で、葬式も結婚式も家でやったんですね、で、お祭りも家でやったんですね、食事も家でやった。ところが、今は結婚式は外で、お葬式は外で、場合によっちゃ家族の会食も外でってことで、機能が1つ1つ都市に奪われていく歴史になっていると。原さんはそれで、住居に都市を埋蔵するというプロジェクトを始めて、それはそれで別の議論になるんですけど、結局、その奪われていく歴史っていうのは、都市の方を見ると、結婚式場とか葬式場が建っていく、病院とかですね、建っていく歴史なんですよね。そうすると介護とか老人ホームとか、介護っていうのはもっと、先程仰ったように訳の分かんない空間の中で起きてたんだと思うんですよね。やっぱり本来機能っていうのは、動詞的で関係的なものだと思うんですけど、それを名詞にしてくっていう歴史があって、介護って形になっていくのかなって思うんですけどね。  

 

 

藤原:私もこの前、伊藤亜紗さんという理学者と対談したんですけど、お互いの文章の共通点が、動詞族だっていう所なんですよ。とにかく動詞で表現したい。それは進行形であり、生成形である。だからそれが何を意味してるかというと、繰り返しになっちゃいますけど、この場所に来たらこういう自分にならなきゃいけない、カチってスイッチAを入れる、で、この場所に行くとスイッチBを入れるっていう風に、場所によって自分の名前をカチャっとはめなきゃいけないんだけど、本当は動的に動きたいわけですよ。しかも例えば、伊藤さんの話だったら、多分目が見えない方が、例えば一緒に旅行に行く時に、隣についてる方が次々に紹介してくれる、ここはあれで、ここはこういう風になってる、そうするとはとバスツアーみたいになって辛いって言ってて、それよりは1人で出かけて行って、全然無責任なたまたま出会ったおじさんにちょっと教えてくださいって言って、はいはいここです、じゃあってそういう無責任な優しさが生まれるような空間、それが実は、そっちも結構大事。

 

単にここはケアの場所です、ケアされます、あなたはケアされてくださいっていうとかも大事ですけど、ケアが突発的に、動詞的に出来ていく空間の設計がないと、いつまで経ってもやっぱり、病院で死になさい、ここで治されなさい、ここで酔っ払いなさい、ここならようやく靴下脱いでナイターを見れますよっていう。そういう意味で私、今日すっごい面白かったのは、中間領域ってお話をされましたけど、まさに私の今見た感じだと、高床と土間の建築はすごい面白いと思って、土間っていう場所がすごい不思議だなって。あそこは土間はそのまんま入るんでしたっけ?  

 

 

西沢:土間はそうですね、元々は土だった。  

 

 

藤原:ですよね。元々は土で、かまどがあって、焚き木を入れてもくもく…  

 

 

西沢:そうですね。吉島家住宅っていう、高山にある日本の建築の中でも非常に評価の高い建築で、材木商の家なんですけど、その土間は、京都のうなぎの寝床的な形ではなくて、そこは一応家なんですね。家なんだけど半分土間なんで、半分仕事場というわけで、家族の形が違ったと思うんですけど、丁稚奉公とか仕事のいろんな人間が出たり入ったりする場所で、今はもう保存建築なんでそういう事は無いんですけど、やっぱりそういう風景が見えるような建築ですね。  

 

 

藤原;土間があるってのは多分、食と建築っていうテーマは家族と建築っていうテーマで繋がっていて、今もまさに奉公人が居た、近世的な奉公人がいて、契約関係もある種の、内々で過ごせるような金が入らないそういう時代だったら、家族の中に家族が重複してたんだけど、今、近代家族っていうのはパパ、ママ、僕っていう強固、カチッとしたものみたいな。ところが、今またその家族が別れ始めてて、独身の人、単身の人がすごい多い一方で、1人親世代も増えてたり、シェアハウスも増えていて、何が何だか、家族もぼやぼやしてきて、そういう時に土間があると、何かに属さなくても、自分は自分ですって言わなくても遊べたり、バタバタしたり、それはすごい面白いお話だなって思って聞いてましたね。軒下もそうだと思いますね。  

 

 

西沢:さっき、棺をお庭から出すという話があって興味があります。もう1個は、どうやって建築をここじゃなくするかという話があるのですけど、西澤文隆という有名な関西の建築家がいる。もう亡くなったのですけど、彼が対談でよく話したのも、昭和50年か60年ぐらいの会談なのですけど、「最近の住宅は玄関が二つになって寂しい」って言うの。すごい驚いたのですけど、昔は最低、関西では2つでしたね。それプラス縁側もあって。それでいくと、農家の先ほどの話なんかもまさにそうなのですけれど、色々な人間が出たり入ったりできるものなんですよ。マンションだと戦略が違う。マンションの場合は入口を狭くして、1個にして、農家の場合は、とにかく裏口から出入りをしてる。

 

それはやはり、1つとして、家っていうのは寝るだけじゃないという、色々な機能の豊かさというものが背景にあって、この素晴らしさかなと思って。でもマンションとかでも、みんなやっぱり家で死にたいと思うのですけど、でも実際は棺が入らないので、なかなか上手くいかないというのがあって。家でパーティーやりたいなと思うんだけど、でも、玄関もこの位しかないのでね、色々な問題があって、先ほどご実家の話もありましたけど、ああいうようなものも結構昔の家なのだけど、住居としては、何か未来の建築のひとつの姿として有り得るかな?と思っていますね。  

 

 

藤原:なるほど。やっぱりそのためには、軒先を借りるという話ありましたけど、そうやってプライベートの延長として公共空間にある、こういう屋根の感覚ってね。妹島さんと一緒にやられていたみんなの家も大きい屋根でしたね。  

 

 

西沢:そうですね。藤原さんの話で先ほどちょっと面白いなと思ったのが、ドイツのフランクフルト・キッチンという死ぬほどモダンな、死ぬほど簡式な、最小限のものがあって、それでその前に、「全き家」っていうドイツの伝統的な家の理念型ですね。家とは要するに、中心にカマドがあって、キッチンがあって、そこにドイツの怖い、怖いとは書いていないけれどもたぶん怖いのだろうな、ドイツの家の主、女性がどんっと座って、皆を見ているっていうのが怖いなと思って、いいなと思ったのですよね。何か凄い迫力で怖くてですね。  

 

 

藤原:そうですね。私も近世のドイツの家はかなり見て回ったのですけど、大体、壁全体がキッチンだというか、燃えていて。もちろんライトは無いわけですから、ここでお湯を沸かしたり、何かを縫ったり、暖炉にもなり、光源でもあるわけですね。全部がこの四角の中で成り立っていて、さっきの怖いハウスマザー、家の主は、この辺に椅子をこうやって座ってるのです。そうすると空港的状態になって、どこに誰がいるのか監視できるのです、光の当たった感じで。ぼくらの火というものが、実は光源でもあり、ライトでもある、そしてキッチンの道具でもあるという、火の根源的なものを重視したのは面白い。

 

今日の話でずっと中心だった、公共空間とプライベートの空間のちょうど狭間にある部分をどれだけ活性化するかというお話で、やっぱり僕は、みんなの家のことを知らなかったのでお話を聞いて凄く面白かったのが、あれはやっぱり人が集まりやすい、なかなか出たいと思う人も居ないじゃないですか。あそこに行ったら何かという、何か工夫とか、結構されたのですか?あの場所を作るのに。  

 

 

西沢:工夫は、まず壁が無くて屋根だけ。  

 

 

妹島和世:あれは何人かで色々なところでやっているので、どうしても最低限あった方がいいねっていうのは、キッチンと暖炉をみんなとにかく1個つくる。火が燃えてるのが見えるのはいいから。あと庇みたいなね、扉開けて入らなくたって、どこまででも来れるし、入れるし。  

 

藤原:私も金沢の21世紀美術館が好きで、家族と一緒に初めて入った時にびっくりしたのですけれども、「一体いつ入ったのだろう?」と思って、玄関に。  

 

 

西沢:市長に言われたのは「敷居の低い美術館を作る」ということで、そう言っていただけると大変光栄です。  

 

 

藤原:美術館がオープンになっている。京都の美術館はそれがなっていないと思っていて、もっと開けばいいのに、四角の箱の中に入れて「どうぞ、観たい方は中にお入りください」という。21世紀美術館に入ると、お金払わなくてもある程度までいけちゃって、「いいの?観ちゃっていいの?」みたいな、なにかこうお得感みたいなものがある。  

 

 

西沢:アメリカの建築家でフランク・ゲーリーという建築家がいて、金沢21世紀美術館を建てる時に、彼が言ったのは「これが未来の美術館なのか」という。アメリカだったら美術館とはみんなで、街でお金を出し合って作る、街で唯一の美の殿堂なのですね。街より1段基盤を高く上げて、その上に置いて、当然尊いものというか、中に入ってそんなにお喋りや何かする所じゃない。ところが、金沢21世紀美術館はというと、子供が走ってガラスにぶつかってギャーみたいな。ここは幼稚園ですか?みたいな。  

 

 

藤原:そう、保育園に近い。  

 

 

西沢:保育園ですよね。それで、お祖母ちゃんがおにぎり食べてたり、ある意味さっきの混ざるというか、ある種の日本の1つの社会の在り様と思ったりするのですけれども。  

 

 

藤原:いや本当に、敷居の低さと言うけれど、敷居の低さを演出されると敷居が高くなるんですよ。だけど、本当の敷居の低さとなったら、もう1段階ひねっていないと駄目で、こども食堂もそうなのですよね。オープンです!というのって、つまりガラス張りという意味ではないのですよね。何にしたら良いのかな?暖簾もあるし、ガラガラって扉もあるし、場合によっては中は見えなかったりするのですけれど、でも入りやすいところ入りにくいところあるじゃないですか。これが何なのだろうか?というところですね。

 

その為には、サービス、スケルトンということで見せるのではなくて、やっぱり、さっきの中間領域でしょうか。いつ、どこで、どうなっているのか分からないような、そういう場所があるとインバイトされる、アトラクトされる。アトラクトっていうのは、要は惹くというのでしょうかね、アトラクション。こう何か惹かれていくような、謎がないといけない。

 

私が1回建築雑誌で、縁食空間についてを自由に書いてよかったんですけれど、その時には、真ん中に豚汁タワーがあって、ここで好きなだけ豚汁を飲めて、あとは、端っこの方に漫画コーナーがあって、そこだったら別に、漫画だけ読みにきた子供も行けるし、漫画と全く逆方向に、街の演奏家が好きな演奏をできるような場所があったりしてという。基本的に、何をしにきたのか分からないという、豚汁だけがあってっていう何をしに来たのか分からないという心地良さってあると思うんです。  

 

 

西沢:それは面白い。機能的に何が何だか分からないという分かりずらさというのは作りずらいのですけど、やってみるとすごく分かりやすいという風な感じ。この間、料理人の人が僕のところに来て、その人はすごく評価されている人みたいで、彼のレストランを作るという方向になったらしいんですね。色々リサーチをしたんだと思うんですけど、彼の構想は色々面白くて、レストランっていっても中に入ると全部キッチン。それでキッチンの端で食べる。周りにパン屋をつけて、パン屋をつけるとすごい色んな人が来る。  

 

 

藤原:パン屋をつけるとすごい人が来る?来ます?  

 

 

西沢:キッチンっていうのが、食べるっていうものが独立しないで、「誰が作ってるか」っていうのが連続して自分のところで作るっていう、作ってる人間が分かるっていうのがすごくいいって言ってましたよ。同じように彼が関わっているプロジェクトはスーパーマーケットで、スーパーマーケットって壁の向こうに厨房があるけど、あの厨房をスーパーマーケットの真ん中に持って来たいと言っていた。そうすると、作ってて最初は魚だったんだけども、そこからバラバラにして、それが刺身になって売れるっていう流れが分かる。

 

あと1個彼が言ったのはレジ。人がレジに立つ時って、魚を売ったり大根を売ったりするところに人が立ってる。そういえばヨーロッパのマーケットらしいんだけど、売る商品のところに人がいてお金を変えるのはついでっていう。そうすると会話がもうお金の話じゃなくて、食材の話になるっていう話がある。  

 

 

藤原:大事ですよね。お金払うのがちょっと端っこになるんですよね。今の話で思い出したんですけど、私『給食の歴史』っていう本を書いてから、全国各地の給食の調理師さんとお話しさせていただくことが増えたんですけど、その時によく言うのが、ジョーン・デューイっていうアメリカの教育学者がいるんですけど、彼は学校の真ん中に食堂を作れっていう、1905年くらいに言ってるんですけど。

 

なぜかっていうと、食は国語・算数・理科・社会の中心なんだから、そこでみんなが食べるってことが中心。出来ればキッチン、つまり調理している場所を真ん中に持っていくっていう。で、保育園でも頑張ってる保育士さん、調理師の皆さんとかは、例えば大阪の方は、建て替えるって時になって園長さんに直談判して。「次の保育園は絶対職員室を真ん中に持ってくる、職員室があった場所に調理場を置け!」と。「そしたら子どもたち来るから。こういうのって実は子供たち楽しいんだよ!」って。で、実際ゴーがでて、そのまんま真ん中に調理場を置いて、11時くらいにいい匂いがしてきて、子どもたちが「ここだ!」って言うっていう。  

 

 

司会:ありがとうございました。後10分ほどしかないんですけど、参加者の皆さん質問などいかがですか?  

 

 

藤原:なんかそれぞれの思っていただいたこととか。例えば、レストランでどういう空間作りとかを、料理にとって空間はなんだろうか、お客さんとの距離感とかちょっと聞いてみたいなと思ってる。  

 

 

坂本健:ずっとある程度価格帯が高いお店で修行してきたので、すごくエンターテイメント性とかを求められている時もあったり、スペインとかフランスから始まりだした前衛的料理とかの流れが一時うわーっと来たりとか、レストランっていうのはそういう場であるという感じで、プレゼンテーションしなければいけないみたいなことが、すごくレストランが窮屈な場になりだしてたことを感じて。

 

ちょうどその後自分の独立のタイミングが来た時に、こういうこれ見よがしなことをしなければならない空間は嫌だなあと自分で思って。自分自身は、素材をみんなに分かち合うような料理を作りたいというか、1次産業の人たちとの連携から、僕たちは途中をやってるくらいにしか、出来た1次産業のものと食べる人との間で、ひと手間ふた手間加えて、それの価値を上げて作っているくらいのようなところにいるって思っているので、そういうものを盛り上げてくれる空間が必要であるという風に思っていた。そうなると、その空間を作り上げていく苦労というのは、僕らが小手先でどうこうした空間とかプレゼンテーション、演出ではなくて、もっとそれぞれの専門の分野の人たちが、大工さんにしろ、庭師にしろ、色んな学びで、それぞれの人が掘り下げたものがギューッと凝縮されることによって空間が出来上がっていると、人それぞれに感じるものがすごく変わってくると思う。

 

レストランのことをよく知っている人は、うちが使っている器を見た時に、料理に使えるか?より、こんな器に盛って出すの!とか、何気なくこんな器で出してくれたら贅沢と思ってくれたり。庭を見た時に庭を好きな人だったら、「面白い庭やなあ」となるとかという風な感じで、色んな心地よいコンテンツの多さというか、そういうもので良い空間ができているとかが僕はすごい好きで、それにはもちろん人の関わり方、スタッフの関わり方っていうのが当然重要にはなってくるんですけど、人とかものとかで常に動きがあるというのが僕は好きで。  

 

 

藤原:なんかサッカーで言うなら「すっごいドリブルを見せられていたのが前で、それがいつの間にか連携パスを見て楽しい」みたいな。それを陰に隠れていながら、それぞれに好きなものを見てもらうっていう感じですよね。  

 

 

坂本:ローカルなことを極めることってすごい大切だなあと。料理人にしろ何にしろ、基礎的なことをすごく掘り下げてるからこそ、最終的に出来上がってるものもなんか堪え切れない良さが出てくるというかっていうのがすごくある。  

 

 

藤原:ありますよね。私たちの本の世界でも一緒で、やっぱり小手先ですごく人の心をとらえるような文章を書く人はいっぱい出てきてるんですけど、やっぱりすぐにダメになる。2、3年で読まれなくなる。本気で書いてる人はやっぱ地味なんですよね。徹底的に調べて、さっきまさに仰っていただいたように、人間関係フルに利用してるんですけど、全然自分が出てこないっていうか、あくまで資料っていうか。主人公は資料でっていう文章の方が、絶対10年20年残るということを思い出しまして、地味でもいいから本物じゃないとダメっていうか。  

 

 

司会:せっかくなので妹島さんからも一言お願いできますか?  

 

 

妹島:1つはちょっと書かれてたと思うんですけど、コロナってなったら縁食の話はすごい面白いし、本当にその点が重要だと思うんだけど、それとちょっとバッティングするようなことを尊ぶみたいな、ごちょごちょと家でみんな作って料理楽しくなったとか、そういう側面がすごくクローズアップされたり、なんとなくそういうことができる人だけが、だけど今までそんなことやってないから食事を作ることが楽しいっていうようなのがすごくクローズアップされて、そういう新しい暮らし方があるとかそれはちょっとおかしい。そういうのもいいかもしれないけれど、そのときにやっぱりこの縁食ってすごい可能性があると思うんだけど、もうひとつ何か言わないと、そういうものに上手く打開できないかな?と思うのが1つ。

 

それから、商品になる前の食料のことが重要だって、本当そうだなと思って。それで全部タダにしたらどうだろうって言ってて、そんなのありえないと思うけど、3分の1捨ててるからっていうのを書かれていましたよね。すごい面白くて、そういうことって本当に国ではなくて小さいことでもどんどんやっていったら、今までは考えられなかったような関係っていうのが、国がすごいいろんなことに疲れてきている、困ってるっていうか。建築だったら、建築家もなんとなくこう作らなきゃいけないみたいなところに陥って、クライアントの人もそんなこと思っていないんだけど、いろんな社会の関係の中からこう作ってもらわないと困るんですよとか、これはあなたの欠陥ですよみたいな、そういうサイクルをみんなで作っちゃっているっていう感じが、大げさに言うとありまして、そういうのがなんかどこかでほどけていくような。それとやっぱり、本当に1番基本的な食べるっていうか、作って食べて生活してるっていうところから、なんかこう変わっていけたらいいなと思うんですけど。  

 

 

藤原:本当にそう思いますね。衣食住ですから、多分丸ごとなんですけど、それがあまりにも商品化されたせいで、工夫とか、誰かに頼るとかはなくなっちゃってきているので、農家だってかなり、今余る設計になっているんですね、農家って。かなりの部分が傷がついたり虫が食ったりして、市場には出せない、自家消費っていうんですけど、キュウリとかほぼ無限にできるんですね。そう考えると結構消費大変ですよね。つまり余るモデルなんですね、農業って。基本は余ったものをシェアするモデルなのに、そこにビニールとバーコードと値段がつくことになっちゃうので、それが食品衛生法。

 

そこをなんとか崩せないかな?食べ物をできる限り、安いところはですよ。本当にシェフが作るものは芸術的で、それはすごくお金を払わないと思うんですけど、本当のべたな部分は、商品化から1回おりてもいいんじゃないかっていう、そこに縁食っていうのがあるのではないかと。みんなで食べるっていうのは、確かにおっしゃる通りでテレワークできる人の1つの喜びとして、食が発見されたというのはいいことではあるんですけど、ご指摘の通り、そういうところで私の縁食とかも、家で食べれるのが楽しい人が出てきている。やっぱり私はそれも大事だけど、それ以上に心に染みたのは、去年の4月でみんな学校が閉まっちゃって、給食もなくなったときに、こども食堂は何をしたかっていうと、全然知られていないんですけど、彼女たちは弁当を配る決断をしたんですよ。なぜかというと、ごめんなさい、もうみんなで食べられることはできないんだけど、弁当を配ればあなたたちを見捨てないというメッセージだけは伝わるんですね。おそらくそれが縁食っていう、今日本で1番求められていることで、あなたは見捨てられていないということを伝えるというか、できればそういう風に、そういうところを考えていきたいと思っていたので、すごくありがたいご指摘でした。 西沢先生がおっしゃっていた、人間の居場所っていうのはどういうところですか?  

 

 

西沢:人間の居場所っていうのは、例えば中国で言えば、まず建築が大地の延長でできていて、なんていうか揺るぎないっていうのかな。人間の居場所っていうのはみんな挑戦していると思うんですけど。例えば人間にふさわしい場所。どこだってやれるだろう、どこでも食べれるだろうっていうそういう逞しさもあるんで、それはそれで面白いなと思うんですけど、ヨーロッパのいくつかの建築というか、ほとんど全ての建築かもしれないけど、人間にふさわしい場所っていうのを考えて、その上でどう失敗か成功かがある。向こうの場合は例えば、ホテルでいうとベットがあって、エアコンがあって、目覚ましがあって、そしたらホテルという感じで、人間に相応しいかどうかというとそういう風には思わないですね。

 

でも、それが中国とかヨーロッパが考えているんじゃないかなと。でもよっぽどましだなと思うのは、例えば、京都来ていいよなと思うのが、例えば喫茶店で、いいなあと思う喫茶店が結構ある。東京は喫茶店でも、どうしてもドトールとか、古いのもあるんだけども、あんまりね。くつろげる場所っていうのはいくつかあるんですけど、そんなに多くないような気がして。ヨーロッパなんて例えば、日本だとモダニズム建築ってそういう人間の場所を失ってく過程のような感じがするんですけども、ヨーロッパだとそうじゃない。モダニズムですら人間の場所に向かってる。  

 

 

藤原:くつろぐって何なんですかね。どういうものなんでしょう。  

 

 

西沢:例えば英語でラグジュアリーって言葉ありますよね。それって人間が持ってる豊かさについてなんですけど、ソファーはふかふかであればいいってわけじゃないんですけど。ところがラグジュアリーっていうのは日本語で訳すとですね、「贅沢」。「贅沢」なんてことになって、快適性についてのことなんですね。人間が快適だと思うその状態についての言葉でラグジュアリーというのがあるんですけど、これは日本では悪いこと。ヨーロッパや中国ですとね、人間が享受すべき場のことなんですよね。その違いがちょっと、日本建築にいいところいっぱいあるのでそんな悪口ばっかじゃないんですけど、例えばさっきの吉島家住宅なんて、それはもう京都の町家も素晴らしいとこがいっぱいあると思います。近代建築とか、最近の現代の住宅とか、人間の場所がないって感じる建築がすごく多い。  

 

 

妹島:病院は本当にね、もっといい病院があったらいいのになあって。

 

 

西沢:あれこそ人間の場所じゃないといけないのに。もっとも快適な場所に。  

 

 

妹島:お金のかけ方が崩れちゃってるから。例えば、もうちょっと広く土地を使っていいですよ、もうちょっと離れてとか。それでしょうがない、そこまでのお金使ってもいいっていうような枠組みになれば、全然入院してる時の楽さとか、待合とか。やっぱり予防から色々病気に繋がってるから。  

 

 

西沢:病院も、まあ病院にもよるんですけど、人同士が、働いている人とか多くの人が人間の場所に向かおうとしているんですよ。でもね、建築が人間の場所ではないんですよ。それが建築、要するに近代建築の問題っていうのは、コルビジェが最後に病院のプロジェクトを作るんですけど、それもやっぱりモダニズムの権化みたいなもので、それは素晴らしい、あれこそ人間の場所だなという感じ。ベネチアで海と陸とをまたがる形で出来ていて、海と陸にまたがるだけでなくて、生と死にまたがっている霊安室があって、そこから遺体が送られていって、その連続の中に立っているのですけど、あれなんかはまさに、人間のモダニズムが人間の建築だったのだなということを示すので。

 

1つはやっぱり、ヨーロッパはモダニズムと言っても新しいものじゃなくて、新古典主義からそのまま引き継いできたんですよね。そこで日本は切れていて、大学に入って、建築学科に入って皆が感じる最初の違和感っていうのは、歴史の教科書が西洋建築史と近代建築史、2つに分かれている。つまり日本建築、古典建築図集、そのあとの近代建築図集、なんでこんなに図集2つあるのかな?おかしいな、でもフランスに行くと歴史の教科書は1つなんですね。そのまま連続して、その中で出てきたモダニズムなので厚みが違う。良いことも悪い所もいっぱいあるんでね。  

 

 

藤原:今の話で思い出したんですけど、私の知人で鳥取でお医者さんをしている、徳永進さんという人がいて、彼はずっとステージ4ぐらいの人たちの最後のホスピタルを運営されている。野の花診療所。そこに行って1回お話したんですけど、そこがね、すごい人間的な、どんな感じだったかというと、まず入ったら食堂があって、おにぎりを握ってらっしゃるんですけど、料理がおいしいんですよね、食堂の。もう本当、癌で亡くなる確率が高いのに、おいしいご飯を皆で食べましょうと。で、そこからちょっと入るとすぐ図書室がある。本がいつでも読める。ちょっと入ると小さな暗がりがあって、1人しか入れないくらいの。そこは瞑想の場といって、1人で瞑想できる場所があったり、詩が壁に書いてあったり、死に行く場所なのに人間的だったりするところがあるので、病院こそ変わっていくべき所かもしれませんよね。  

 

 

西沢:私もルイス・カーンという人がいて、僕が目標とする建築家なんですけど、彼は面白い考え方をする人で、色々と示唆に富むことがあって、劇場を作るときに、俳優がモップとか掃除用具がごちゃごちゃしているところからバッと出て来るんですよ。要はどういうことかというと、袖舞台って重要なのに、それをしない。それはちょっとどうかな?と思って、彼が言っているのは、俳優・役者の家として劇場を見るっていう、商業施設じゃなくて、役者が台本読んで練習してくつろいだり何なりして本番が来るっていう、一連のものをおさめる、役者の家って考え直して設計してみた。それが面白くて、舞台裏の方がでかいんですよ。そういうさっきのチャペルがあって、台本を用意する場所があったり、食事する場所があったりっていうんで、袖舞台にあがって舞台に出るんですね。そのドラマがすごいですね。そういう意味で家っていう概念は、人間の場所に関わるのと同じという。例えばオフィスを家として考える、食べるところを家として考え、自分の家、みんなの家として考える。家っていうのを入れると、ちょっと考えが変わるかなっていうのは感じましたね。