「心に残る名品」

  中川周士(木工職人)

中川周士: 僕の心に残る名品は、うちのおじいちゃんが作ったビールジョッキです。昭和39年なので、57年前ですね。おじいちゃんが試作品として修行先で作ったもので、実は38年ぐらい勤めて独立したんですけど、そのときに、今まで40年間奉公先の商品を作り続けてきた中で、これは初めて、中川木工芸のオリジナルの作品っていうのを作ろうと考えて、作ったものです。57年前にビールジョッキっていうこの発想が、今の僕に近い感じを、おじいちゃんも持ってたんかな?っていう風に感じています。  

 

やっぱりこだわりの形であって、当時、桶の業界の中でも名人と呼ばれる人やったんで、そういうところにすごく魅力を感じます。親の代っていうのは、ある種ライバルみたいなところがあって、同じ時代を生きてるんで、乗り越えるべき対象みたいになるんやけど、祖父の代っていうと、僕が修行し始めたときにはもう引退してたから、一緒に作業台を並べたことはなかったんですよ。そうすると憧れの存在みたいな形になる。 そしてこれって、僕にとっての進んでいく指針みたいなところっていうかね、このビッとした感じっていうのをいかにしたら出せるのか?っていうことを、手元に置いてよく見てるものの1つです。手前味噌で申し訳ないですけど。

 

事務局 (Q): こっちは何でしょうか?   

中川: これもおじいちゃんが作ったやつで、これは実際に、お客さんのところで30年以上使われてたやつで、お酒を吸って、元々はいわゆる竹色やったのがあめ色になって、お酒を入れる徳利なんですよ。これでお酒を入れて杉の香りをつけて、空気穴をふさぐと止まって台が片付く。うちのおじいちゃんのものってほとんどなくて、伝わってたのがこの2つです。  

 

親父は美術工芸品っていう方向へ進んだんで、まさに美を前面に出すところにいってるんですけど、おじいちゃんが面白いと、僕が魅力的やなと思うのは、やっぱり用のもの、器というか、美術じゃなくて工芸の世界の中で美を見つけていくというか。それを本人がどこまで意図的にそうしたかはわからないけど、たとえば、「生活の道具の中にいかに美を忍び込ますか」みたいなことっていうのをチャレンジしたのかな?っていう風には想像してて。結局、工房で一緒に仕事することはなかったんで、そういうところって聞けなかったし、後はもう想像するしかないんですけど、そういう姿勢っていうのは、僕が大事にしていきたいなっていうのを感じさせてくれますね。 

Q: 中川さんがこれから見ていく方向性はおじいちゃんの方向性に近いんですか?

中川: 木材をどういう使い方をするのかっていうことが大事かなと思ってて、TPOじゃないけど、使うからには無駄なく、最後の最後まで。それこそ、昔の檜皮葺とか良かったなと思うのは、瓦の代わりに、ヒノキの皮を屋根に葺いてたっていうことは、中身は建築に使い、皮は、クジラを油からひげ、身まで全部食べるのに使うみたいな感覚で、丸太が1本あれば全部使ってるんですよ。  

 

この間、吉野に行ったときに思ったのは、僕ら白太っていって木のふちの丸く白いところとか使わないんですけど、それは割り箸に使うんですよ。中身は柱に使って、僕なんか皮は使わへんから、乱雑にめくってその辺に積んだりしてるけど、皮も綺麗に取って、四角く切ってるんですよね。要するに、バカってめくってしまうとゴミになっちゃうけど、綺麗に切ったら結局資源になるっていうこと。赤身を取るために白太を適当に外しちゃうと、それはもうゴミにしかならないけど、割り箸を取れるようにきっちり取っていくと資源になる。吉野の製材所すごいなって思ったのは、ほぼゴミ出ないんですよ、1本丸太取って。

 

そういうことをしてるところっていうのはやっぱり手本にしていくべきで、でも街の製材所とかやと、板10枚ぐらい取ったら、それと同じ量ぐらいの廃材が出るみたいなやり方をしてると、結局お金も無駄やし、資源も無駄やしっていうことになっちゃいますよね。そういうことが間人でやってるところで見せつけられると、すげえなと思いますね。また、それを知れるとけっこう面白いと思うんですけど、そういうところの知恵を作品にして、共有できるようなことができたら面白いなと思ったりする。 

 

  

0146.jpg

1本の丸太を割って切り出した材を用いた庇 写真:森川昇

Q: かといって、じゃあ土、木、紙で作る方が今は高くなったりするから、庶民だと、とても木で作ったりできないじゃないですか?何が正しいっていうか、どうすればいいのかなと思っています。 

中川: 僕もその辺、迷うところあるんですけどね。たとえば、山登りしてたりすると水がないじゃないですか?そうすると、食器は全部紙で拭いて、その紙を燃やす。要するに、水で洗わない。山登りしてると、水の方が重要なんで、紙や新聞、ティッシュとかで拭いて。それって、紙が大事なの?水が大事なの?という状況によって、家庭やったら、いちいち食器を紙で拭いてたらそれの方がエコじゃない、水道で洗うけどってなるし、正解がないのがあり、けっこう状況状況によって変わるなと。だから、画一的にこっちが正しいっていうことじゃないんやろうなと思っています。  

 

だからこそ今回、あしたの畑で、これとこれの関係があって、これがあるみたいな、関係性の中で広がっていくっていう考え方の先に、環境の問題の解決方法があるかなと思ってて。でも、たとえば大枠から考えて、プラスチックを使うのはやめましょうって言ってしまうと、結局中で齟齬が出て…今やったらね。これが10年後、20年後浸透していって、プラスチックがない世の中っていうのが想像できるかもしれないけど、でも枠組みから考えていくと、けっこう破綻をきたす可能性があるなっていう風に思うんで、身の回りのところから。  

 

中川木工芸は、たとえば薪を使ってエネルギーを作るんで、冬の暖房は処理ができますっていうけど、それはうちだからできること。でも間人でできることってのはまた別になっていくし、それを佐藤さんのところみたいなガラスのところはまた別になっていくし…。違いがけっこう、それぞれが考えて、それぞれに合うような対応の仕方をしていかなあかんっていうことになると、考え方の共有っていうか、学び方の共有っていうか、そういうところが大事になっていくんやろうなっていう風に思っています。あるいは、関係を作っていく方法の共有っていうか。そういうのって、やっぱ答えが出ないからなかなか難しいんですけど。 

Q: あしたの畑の設立メンバーのみんながいるのは奇跡に近い気がして、全く違う分野で日々過ごしてるんだけれど、向かってる方向は必ずみんな次の世代を考えながら、今は何をするべきかを考えている。だから考え方によっては、新しいものを作らずに、骨董屋さんに行って見繕って古いものを使うっていう方法もありえる。けれど、それだけだと何も進化しないというか、かっこいいって何?かっこよく生きるって何?って考えるときに、たぶんそこに自分たちのルールがあると思います。

テクノロジーを全く否定するわけでもなく、プラスチックとかも全く否定するわけでもなく、どう行動し、どう思考すれば、今かっこいいと思えるのか?ご飯残ったらついサランラップ切っちゃうし、サランラップ使っちゃったと思うんですけど、それをパってやめるのは難しいし、化学染料で染めたものを着ちゃいけないとわかるんですけど、でも10万円ぐらいする草木染めのシャツばかり買えない。

水だって蛇口捻ったら出ちゃうから、みんなばーっと使うけど、さっきの木材を切るのもそうですけど、何から得られてるかっていう教育が無いから、水が枯渇するって言ってもきっとリアリティーが無い。中川さん1人が再利用とかやったって、多分変わらない。 

 

中川: ある種自己満足ですよね。

Q: でもやらないより、やる方がいい。

中川: 確実に言える事は、今まで1本10万円の木を買って、その3万円分くらい捨ててたみたいなものが、捨てられる物が明日1,000円位であったとか、その分、皮をおこしたり手間が掛かってるんやけど、確実に原料が、収入が上がってきているみたいな、そこは考えていかないといけないところ。SDGsみたいな言葉が出てきて良くなったかな?って思うことは、今までは、環境っていうのは無理して守っていかないといけないんだけど、環境を学ぶことが、収益や収入に繋がるみたいなところが来たっていう。そうすると多分、考え方が変わっていくんやろうなと。結局は個人の判断であるから、そういう選択を出来る人間を増やしていくしかない。