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間人スタジオ 

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写真:森川昇

木庇

中川周士

2021年、木曽のさわら

助言してくれた人:鳥居厚志(アトリエ九間)

米櫃約100個分の材料の柾目だけを用いた作品としての庇。常時住むことがなくなって20年ほど経っていた家を借り受けた時、庇は、プラスティックの波板が錆びた鉄棒で支えられていた。持続可能な建築を考えると庇は木がよく、環境にも馴染むと考えた。庇をつけると地域の方々がかっこいいと声をかけてくださり、突然雨が降ってきたら雨宿りさせてくださいと会話が生まれる力をもつ木の庇。荒々しい木の表現は、中川ほど木を知り尽くし、木に寄り添って刃を入れる技術がないと生まれない近年生み出したシリーズではあるが、日頃は桶職人としてすべすべの表情を出すことで腕を評価される職人芸から逸脱したのではなく、半歩前に進み、未来に向かう気持ちの表れだ。 

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木の部屋

中川周士

2022年、吉野のヒノキ、丹後ちりめん

太古の暮らしにも木との共存があった。陶磁器のように数多くは残ってはいないが、手からすくうのではなく、石や木のスプーンでものを食べるようになった。その頃、人と空との関係は今よりもっと心の距離が近かったのではないかと思いを巡らす。中川はひとりで空を見上げながら小さな死を迎えるような眠りの空間を考えた。眠るごとに再生し、生きる力を木から得る、そんな願いを感じるこの木の部屋はいずれ屋外での展開を夢見ている。

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中川周士

2021年、吉野のヒノキ

200cm×93cmの机ふたつをつなぎあわせ、全長400cmとなる檜の机は高さが33cmで、12畳の畳の間に在する。中川は設立メンバーの顔を思い浮かべ、増えていく仲間たちを想像して、10人が集まって、話したり、一緒に食事をとりながら交流をはかる姿を描いてこの机を作ったという。海外でも、ドンペリニョンのクーラーを作った木桶職人として注目を集めていた中川に、5年前ある企画で家具の制作を依頼したことがきっかけとなり、今では家具作家としても活動し始めた中川のサイトスペシフィックの最新作だ。 

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土壁

新里明士

2021年、間人の田んぼの土、藁すさ、水、泥ずり

教えてくれた人:中須左官店

新里明士は、縄文時代よりあったとされる透彫の技法が進化し、有名なところでは清朝時代、景徳鎮で生産された蛍手の技法を採用しながら独自の表現に開花させた光器という陶芸表現で知られる陶芸作家。現代美術家の杉本博司が写真表現から建築やパフォーミングアーツ、執筆へと新たな一歩を踏み出す契機となった護王神社のように、陶芸作家に託された設定は、漁村でかつて農民が自ら家を作っていたときの工程で壁を作る、その漁村に工房を構えるとしたらその壁は自分で作る、というもの。

地元の名士の好意で田んぼの土を譲り受け、数寄屋建築の高い技術を有する左官職人に現場で技術を教わり完成した土の彫刻としての壁は、これからの工芸建築を現す代名詞となりそうな表情を見せ、これから年月をかけ土の色が土地の風と温度湿度に馴染んでいくころ、間人スタジオが生活に溶け込んでいくことを願う祈りの壁でもある。 

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硝子扉

佐藤聡

2021年、吹き硝子(光と空と海と土の色)

手伝ってくれた人:青野広治/グラススタジオブルー

海がある北からの穏やかな光を受ける扉には、家が建てられた時の100年前の硝子がはまっていた。100年前の硝子の表現は技術が高くなりすぎた今では皮肉なことに再現できなく、部分的に欠けている硝子板を、ステンドグラスの技法を用いて硝子作品を作ることを硝子作家の佐藤聡に相談した。

既存の硝子の透明硝子を現代の透明硝子にすることを当初想定していた佐藤が、土の色と空の色2枚のロンデル(ヴェネチアの15世紀の邸宅でもよく見られる吹きガラスで作られる円形のガラス板)を吹いて見せてくれた。この硝子を佐藤の友人である奈良のステンドグラス作家・青野に硝子扉にはめ込む作業を依頼した。100年前と今では硝子の厚みが異なり、少し昔の硝子と戸の常識を解釈しながら現代へと翻訳する作業の現場に立ち会え、これからの硝子と建築の関係を考える機会をもたらした。 

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紙壁

嘉戸浩

2021年、楮紙

表具:藤田幸生(藤田雅装堂) 

間人スタジオの1階は、かつて商店として使われていた大きめの三和土の間がある、その南の土間に面して六畳間が北に二間広がる。北側にガラス戸が3枚、西側には2階へあがる階段の側面に襖が3枚と仏壇、そして床の間がある。これらの壁面を紙にしようと唐紙作家の嘉戸浩と決め、襖絵は美術家の田中義久と、間人の記憶を記録する紙を追って制作して襖とすることで計画した。

李朝の王陵の墓守の家や韓屋で見られる壁面に貼られた手漉の韓紙の優しい風合いは、かつて間人から眺める日本海を渡って大陸とのさまざまな文化交流がなされたことを思い起こさせ、唐の時代に日本にもたらされた唐紙の技法を今に受け継ぎ、またニューヨークでグラフィックデザインの仕事をしていたコスモポリタンな感覚をもつ嘉戸に現代の紙壁の表現をあえて紙に木版をもちいてパターンを化粧する技法以外での挑戦となるよう依頼した。現在進行形の紙の記憶が織りなす”時”の壁面となる。 

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台所

監修:坂本健、デザイン:橋詰隼弥

2021年、チェリー、ヒバ、真鍮

作ってくれた人:八十原誠(樹輪舎)

本当は禅寺でみかける土竈でご飯を炊いたり、暖炉で寒い間人の冬を乗り越える生活を夢見た、が現実には煙がでることやさまざまな障害に今のところは実現を見合わせる状況だ。 それでもたまにプロの料理人が家に来て地元の食材で最新の料理を食べさせてくれることを期待すると2階に吹き抜けた場所にあるもう使えそうにない風呂場にさよならを言って、この場所に台所をつくること(いつか土竈を)を計画した。

日頃は一人分の料理をするこの台所が時として料理人を迎え友人たちとにぎやかな食会を催す場となるには、調理する場をしかるべき佇まいにと料理人の坂本健と話し合いを重ね、食器や調理用具の置き場など家具職人の八十原誠と協議してできるだけ機能的でありながら結果としては予算の兼ね合いもあり、超絶シンプルな台所が出来上がった。

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緊張感のある佇まいを持つ十二畳の畳の間

高室畳工業所

2021年、い草(縁:綿)

畳は、すっかり古くなり、ところどころ抜け落ちそうな部分もあったので、以前より親交のある高室畳工業所がわざわざ京都市内からかけつけてくれ、表返しをする六畳と畳を六畳新調した。この場所が子どもたちが集う場所、かつての寺子屋のようにここは美の学びの場となる想いを高室さんにお伝えして、縁は黒色にして心地よい緊張感を空間に持たせることにした。12畳の畳の間は、昭和時代、親族が集う風景を思い起こさせ、集うことがもたらす豊かさを令和の時代に提案する空間演出を担うことになりそうだ。 

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間人スタジオ題字、ちらし「あしたの畑」

柿沼康二

2021年

題字材:杉に墨

ちらし材:紙に墨 

持続可能な社会に貢献する美術業界の役割として過剰な梱包を見直す、そして大量印刷する告知をできるだけ控えるという議論がなされていることを知り、当初予定していたポスターとちらしの印刷を取りやめ、手書きで40枚、「あしたの畑」という文字を展覧会の告知として書家の柿沼康二に書いてもらった。漢字が日本に紹介され、ひらがなやカタカナが生まれる頃、間人周辺は大和王朝との交流が盛んだったという歴史を踏まえ、木簡に書かれていた書を基調としながら、現代のかっこいいとかわいいという感覚を取り入れた日本の文字を表現していただいた。表札「間人スタジオ」は、木工作家中川周士が整えた杉の表札板に柿沼が安寧の祈りを込めて書き上げた。  

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