あしたの畑 「紙」 

田中義久、嘉戸浩

スクリーンショット 2018-08-29 19.52.25.png

「TAKEO PAPER SHOW2018」制作過程

今回のゲストはグラフィックデザイナーであり、アーティストデュオNerholとして活動している田中義久さん。聞き手に設立メンバーの嘉戸浩さんをお迎えして1時間の対談、テーマは「紙」。  

事務局(O):嘉戸さんが以前“新聞を作ってみたい”と仰っていて、同時期に田中さんが、海で紙を作る活動をしはじめたー船で使われなくなったロープを紙にするーとお聞きしていて、なんとなく勝手に嘉戸さんと田中さんを引き合わせた方がもう、早いかなと思い、おふたりとなにかできると楽しいそうだと思っています。プロジェクトについてお聞かせいただけますか?

田中義久(T):自分が紙を扱う仕事をしていることもあって、特に印刷媒体としての紙が好きなんです。日本には大体2万種類ぐらいあるんですが、20代の中盤くらいから趣味で集めて、一時は1万種類くらいあったかな。そうこうしているうちに製紙会社さんと仕事をする機会が増えていったのですが、この20年だけでも業界はめまぐるしく変わったのではないかと思います。

毎年、生産量はすごいスピードで落ちていますし、昔あった種類の紙もどんどん減っていて…。ただ、それは悲観的な話ではなく、インターネットがこれだけ広まっていますし、昔は情報を伝える為に紙が存在していたところもあったので、減っていくのは当たり前だと思います。むしろそういうものはネットにお任せして、「紙」という物質性や在り方を現代の視点で考えていく、これからの紙の在り方はどうあるべきかを考える必要があるのではないかと思っています。

和紙について考え始めたのは、数年に一度、紙商社の竹尾さんが竹尾ペーパーショウという紙の事を考える展覧会をやっていまして、そこで考え始めたのがきっかけでした。 いわゆる近代化に伴って失われたバナキュラーを取り戻すと言ってしまうと、ノスタルジーに回収されそうですけれど、単純に近代化に伴ってこぼれ落ちてしまった本質的な存在を改めて見つめ直したいと思ったのです。そこで1番早いのは、地域に存在しているものと和紙との関係を考えることではないかと。まず始めたのが、土を混ぜることでした。

スクリーンショット 2018-08-30 17.38.45.png
スクリーンショット 2018-08-29 19.53.09.png
スクリーンショット 2018-08-29 19.52.39.png

「TAKEO PAPER SHOW2018」制作過程

 

 

 

 

土を和紙に混ぜるという行為自体は昔から伝わるアプローチではあるのですが、山野井 徹さんという方が黒土、クロボクと縄文文化の関係性について説明している『日本の土』という本を読んだことがひとつのきっかけになっています。クロボクは世界の分布量でいうと1パーセントぐらいしかないのに、日本には大量にあるんですよ。日本は30パーセント以上がクロボクで、1番多い。それがどういう風に日本で生まれたかという通説が、火山噴火によって積もった火山灰などと、枯れた植物、腐植物が混ざって、長い時間かけて黒い土になったというのが今までの考え方だった。

 

でも山野井さんは、通説だとどう考えてもこんなに出来ない、そんな風にならないと言っていて、山野井さんが考えた分析によると、縄文時代とか弥生時代の途中まで、日本人は全国的に山焼きとか野焼きをしていて、そこで焼かれた灰と土壌の腐植物とかが混ざって黒い土が形成されていったのではないか。という話だったんですよ。 つまり、クロボクは人と自然との関係性によって1億年くらいかけて生成された人工物であると。そう考えた時に、今そのクロボクを使って和紙を漉いたら、縄文人とセッションしていることになるなって思いまして(笑)。

 

これは自然と人との関係として非常に面白いクリエイションになるんじゃないかということで始めました。ですので、表層的な表現というよりは、物語が現代の新しい価値を生んでいく可能性を秘めていると捉えていまして、その時は日本だけではなく、世界中の土を1回集めて紙に混ぜて、実験しました。

 

普段、紙媒体を中心に仕事をしていく中で、単純に量産されて製品化された紙を扱うのではなく、各々の背景を基盤において紙を生成していく考え方は出来ないかと思っていました。日常に何気なく存在しているものが固有性の高い紙へと変化するという考え方をベースにする事が出来れば、すでに価値づけされたものを使えば良いものになるという今までの発想を、転倒させられるのではないかと思いました。

展示をしてみて、他にもいろいろやれるだろうなという感覚はあったのですが、個人的には美し過ぎるというか、ひとつの物語としては面白いのですけれど、もっと大きな変換の見え方はできないかと思い始めていました。みんなが見捨ててしまう廃材とかそういうものですら美しく変換することができる力が和紙にはあると思ったので、次はそういう廃材を拾ってくるという方向でやれないかと思って、廃棄処分されたものや、海岸に打ち上げられたゴミと呼ばれるものを拾い集めるということを共同で始めたりもしました。  

_53A8188_final.jpg
180828__CAM0094.jpg

「TAKEO PAPER SHOW2018」展示風景

O: 制作プロセスが気になります。どういう感覚で制作されていますか?  

 

T: 制作プロセスとしては、廃材を一回簡易的にほぐしたり細かく切ったものを、ビーターと呼ばれる流れるプールのようなところで繊維状にして、それを楮と混ぜていくという作業になります。

プラスチックは浮いちゃって比重的に混ざりづらいのですが、ロープなどはもともと植物由来だったりするので紙の繊維ときれいに混ざっていきます。 アワガミの職人さんと一緒に話しながら制作するのですけど、この人じゃないとできないっていう工程にならないように、誰でもできるような作業で、その場所が持っている背景がそのまま固有性として引き継がれていくようなものの方が、今後の価値として必要だろうなと思って制作しています。絵柄ができているものも2、3枚作ればみんな作れたりするような内容だったりするので、その範囲で出来上がっていくと良いと考えています。  

IMG_5496.JPG
IMG_5540.JPG

「大原の身体 田中の生態」制作過程

O: 新しい紙を作る感覚でしょうか?情報を伝える紙として使うということだけに限らず、居住空間に使ったり、その人の解釈に委ねられるようなものを目指されているような印象を受けました。  

 

T: そうですね、新しい製品のあり方というよりは、まずは新しい和紙のあり方を目指しているのだと思います。技術自体はなんてことないのですけど、捉え方によって物語が生まれ、エコロジーを作りあげていく。なぜこの紙はこの色なのか、この素材はなぜこの和紙と一緒に練りこまれたのかとか、その廃材自体は一体なんなのかとか、環境や存在意義も含め、制作されていく過程自体が全てモノにおちていくようなあり方というのを考えました。

最近は、ニューバランスという靴のメーカーさんから依頼を受けて、靴を作るときにたくさん出る廃材でもう一種類の靴を作り上げるというプロジェクトをやっています。破棄されていたものが、もう一つの新しい靴として生産されたらアップサイクルにもなりますし、個人的にも単純にそういう靴が欲しいなと思いました。靴って1個の商品が生まれたらそれを何万足って作ると思うのですけど、これはそういうものではなくて、出た廃材分でできる個数だけを作ります。  

190124_0397_s.jpg

「大原の身体 田中の生態」展示風景

O: 物語性というアプローチは田中さんのなかでいつも高い位置で考えていますか?  

T: そうですね。デザインの仕事をしていく上でも、数年で消費されていくものの儚さには興味が無くて、最低でも数10年、できれば100年200年と価値として存在しうるものがデザインでも作りあげたいなと思っています。それを目指す以上は、一過性の表現や表層的なものに惑わされないような存在であるべきだと考えています。  

嘉戸浩(K): 和紙って言っても、ロープとかの繊維状にして漉き返してるっていうのもちゃんと和紙の定義として合ってるんですごく面白いなと思いました。和紙って基本的にめちゃめちゃ丈夫な紙なので、良い物なんてそれこそ100年200年もつじゃないですか。それを入れることによって強度が強まるのか弱まるのかがどうなのかなと思ったりしたんですけど、その辺は強度的にどうなんですか?  

 

T: そこまで全然調査できてないんですけど、雁皮とか楮のみで作られたきれいな和紙っていうのは昔すごく高価で、一般の民が使えるようなものじゃなかった時代に、紙やそういったきれいな和紙の代わりに、落ちている網などをほどいて和紙に代用していたっていうことが書いてあることを読んで、なるほどなというか、それが昔の人にとって当たり前のことだったんだなっていうふうに思えて、僕もやってみたいっていうきっかけになったんです。 だから繊維としてはすごく散漫になっちゃうし強度とかほつれの感じもただ単純に楮同士で組んでいるよりは破れる場所が増えると思いますし、硬くなってるとことかほつれやすいしちょっと難しい部分が多いだろうなっていう感じはしています。  

190124_0331.jpg
190124_0380.jpg

「大原の身体 田中の生態」展示風景

O: 嘉戸さんが考えている新聞はどういうイメージですか?  

K: 僕は和紙を漉く職人ではなくて、木版を刷るのが仕事なんです。

唐紙はいろんな紋様があって、いろいろなところから意匠を拾ってきて紋様化して襖にしたりするんですけど、作りたいと思っていた新聞はテキストのある新聞ではなくて、間人にある自然、石のテクスチャーや木の表面のテクスチャーとかを拾ってきて、それを紙に写して、2021年の間人のテクスチャーを紙の媒体として残しておくというような、すごい抽象的な新聞を作りたいと思っていました。記憶として残すイメージです。 

T: 良いですね。記号的に、それこそ昔の動物の壁画のように、そのときの状況を何かしらの形でコピーしていくっていうやり方で考えるのであれば、そういう新聞としてのあり方であればすぐにでもできそうな気がします。  

 

K: 魚拓とかも印刷じゃないですか。間人で釣った魚を魚拓として残すとか、石版とか昔からそれで刷ったりとか。個人的に建築の廃材のテクスチャーで刷ったりしているので、そういうイメージです。単純に木版を彫るのはすごい時間もかかるし、紋様を考えるのもすごく大変で、基本的にお客さんがいてから紋様を考えるので、既存のものから模様が作れると既にちょっとでも凹凸があれば刷れるので面白い。初めて木版でないものを刷ったのは7年くらい前に骨董屋さんで売ってたお寺の鐘撞堂の床板があまりにもかっこよかったので、これを刷りたいって思ったのが最初です。  

 

AG3I1113.jpg

陶器の版から映しとった唐紙

 

 

T: 良い機会をいただいてありがとうございます。 記号的な新聞を作る上で、漉いた紙が媒体のベースになるというのはこれも物語的だなと。良いきっかけになる気がしたので楽しみにしています。 

​(田中さんプロフィール)